室生寺・大野寺

    No.14.....2003年4月13日(日曜)


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前回は宇陀郡榛原町(うだぐん・はいばら)を歩いた。榛原は奈良と三重県を分ける分水嶺のようなもので、事実、榛原町より西にある初瀬川は西に向いて流れ、大和川となって奈良県を横断して大阪湾に出て行く。

榛原町より東にある宇陀川は東に流れ、室生川と合流し、三重県に入って名張川と合流。名前を名張川と変えて東向きに流れていたものが、私の住んでいる梅が丘の麓でUターンして奈良県に戻り、木津川となって京都府に入る。

木津川は天王山のある京都府・山崎で、琵琶湖から流れてきた宇治川、丹波から流れて来た大堰川(京都に入ってからは桂川と名を変える)の3つが合流し、淀川となって大阪湾に注ぐ。榛原を境にして一方は大和川に、他方は大回りをして淀川になるというのは運命の別れ道といったようで、ナカナカ興趣がある。

今日のメインの訪問地は室生寺だったはずだったが、結果的には室生川が主役になった。

室生寺行くには、近鉄・室生口大野(むろうぐちおおの)駅で下車する。名張からは大阪を向いて、名張→赤目→三本松→室生口大野。わずかに3つめの駅。10kmほどのところ。室生口大野→榛原→長谷寺→桜井→大和八木と続くが、三本松から長谷寺にかけては電車は山の中を走り、標高がピークとなるのが榛原あたりである。

私は平日はほとんど外出しないので、テレビで見るしかないのだが、毎日集荷にくるクロネコヤマトの人がいうには、世間ではサクラが満開で、先週の日曜日は花見見物でごったがえしていたらしい。サクラは今日で終りであろう。来週まではもたない。今週中に出かけなければならない。

名張から室生口大野までの近鉄電車の運賃は250円。時間にして12分くらいか。

ここの駅には、線路の両側に、プラットホームに枝が届くかという位置に桜が何本か植えてあって、「ああサクラの季節か」と気づかせてくれたものだった。これまでは車窓から眺めるだけだったが、今日は初めてサクラの時期にこの駅に降りる。

地名でいえば、奈良県宇陀郡室生村。「村」である。奈良県には村が多いように思われる。この宇陀郡にも曽爾村(そに)・御杖村(みつえ)・室生村と3つの村がある。近隣にも高市郡明日香村、山辺郡都祁村(つげ)・山添村(やまぞえ)、添上郡月ヶ瀬村があって、榛原を中心に北・東・南に村がある。(西は奈良盆地になるので村はない)。

奈良県の面積の過半を占める吉野郡となるとその多くが村であるが、十津川村・天川村・黒滝村など、案外に名が知られた村が多い。

要するに奈良県の村は高地にあり、山々を縫って流れる川沿いにある。この大山塊に降った雨は、山々をくねって流れるうちに、次第に合流して大きな川となって、あるものは大和川になって奈良盆地に向かい、あるものは木津川となって京都府を迂回して淀川に合流し、あるものは吉野川→紀ノ川となって和歌山へでる。


古代の飛鳥・平城の人々にとっては、宇陀や吉野は水源地として重要な地であったらしい。前回の榛原で水分神社(みくまり)を訪れたが、この地は水の源であるから、これを祀って水資源を過不足なく確保したい。という思いがあったのではなかろうか。

室生口大野駅を出たところに案内板があった。@大野寺の磨崖仏、A室生寺、B竜穴神社、が名所であるらしい。@Aはまっぷに説明があるが、Bの説明はない。案内板にあるくらいだから有名なのだろうが、どういう神社なのか。

写真は駅前商店街。営業している店は1軒しかないが。


すぐに大野寺が見える。すでに大勢の観光客がきているようだ。山門の右手にサクラが。

山門の中央に賽銭箱のようなものが置いてあって、見学料は200円とある。無人である。見学者は200円を箱に投げ入れて、脇においてあるパンフレットを取っていくシステムになっている。

払わずに通過しても咎める人はいない。団体できていたおばちゃんの一人が先に入って「わあキレイ。すごいわ。早よきてみ。」といえば、ドドドーッと続いて門をくぐっていく。誰も見学料は払わない。こういう連中もいる。


なるほど、枝垂桜が2本あって、いま満開である。まっぷによれば樹齢300年とある。

好みではあるが枝垂桜というのは、どうもダラリとして頼りなげである。サクラといえば今はソメイヨシノが一般的で、こっちのほうがスッキリしていて好もしいが、これは江戸期に品種改良したものらしい。

300年前に植えた時代は、枝垂桜が人気だったのだろうか。この2本の枝垂桜の周りは、素人カメラマンが取り囲んでいる。大きなカメラを三脚に据えて撮っている人も大勢いる。

まあ邪魔である。おかげで肝心の枝垂桜の根元に行って見ることはできない。


大野寺は小寺である。写真の本堂が唯一の建物で、あとは住職の住む住居があるだけ。

しかし誰も本堂には興味を抱かず。もっぱら枝垂桜のよきアングルを見つけようと右往左往している。


大野寺の生垣越しに、川向こうにある弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)が見える。

手前には白モクレンが植えてあって、向こうに磨崖仏。という構図は、枝垂桜よりもよい被写体のように思えるが、誰もここにはカメラを向けていない。


石仏としては敦煌のものが有名だが、国内にも臼杵の石仏などがある。(見たことはない)。これらは立体的な彫刻だが、弥勒磨崖仏は線刻である。輪郭を線で彫っただけのもので、立体的ではない。

パンフレットによれば鎌倉期の1207年に造顕されたとある。800年前のことだが、線刻だけに風化に弱く、その輪郭は判然としていない。

だいたいは写真のような形状のようである。光背(?)部の凹みの高さは13.8m、弥勒仏の高さは11.5mとある。

それにつけても、これが弥勒仏であるということがどこからわかるのか。今の私にはわからない。

大野寺を出る。前には宇陀川が流れている。川は榛原から発して、この大野寺の1kmほど西にある室生ダムに溜められる。室生ダムから水量を調整された川が出たところで室生川が合流し、宇陀川として名張に向かい、名張川と合流して名張川と名前を変える。

山間部の川であるからその流れは山裾にそって激しく方向を変える。大野寺の前では写真の右手から流れてきたものが写真左でUターンして、右手に向かって流れていく。

これから向かう室生寺は川上にある。写真の右方向へ進む。

上の写真のすぐ右に、弥勒磨崖仏が彫ってある。大野寺には一度来たことがある。このときは磨崖仏の風化破損が激しく、保存工事のために見ることはできなかった。(もっとも川越しに遠望してもはっきりとは見えないが。


こういう川沿いの道を歩く。


磨崖仏から200mくらいのところに、宇陀川と室生川の合流点がある。向こうから流れてくるのが室生川。手前は宇陀川。


橋を渡って宇陀川を越して、室生川のほうへ。


すぐには室生川には出ない。しばらくは山道を歩く。左は崖、右は下り斜面に杉木立。

この崖は岩である。安山岩である。昔、室生は火山地帯であった。(いまでも温泉が湧き出る)溶岩がゆっくりと冷えて、結晶化したようになっている。巨大な石柱が隙間なく林立している様である。「柱状節理」というらしい。

このあたりはこういう岩壁が多い。だから弥勒磨崖仏を彫ることができた。



1kmも歩かぬうちに道は工事中となった。今度の道は広く、歩道もあるようである。向こうの赤い橋までは「まっぷ」に指示されているコースである。

橋を渡ったところに、東海自然歩道がある。奥に向かう山道がそれである。

実はここへ来るまでは、まっぷのとおりに東海自然歩道を歩くつもりだったが、この山道を見て気が変った。

まっぷをみると長谷川(赤い橋は長谷川を渡る橋である)に沿って歩くようになっているが、ゴロ石、木橋、石畳、暗渠とあるばかりで、見どころは何もなさそうである。前回の鳥見山の山道には閉口したので、今回は平坦な道を歩きたかった。

それにどうせ川に沿って歩くのなら、室生川沿いのほうがよい。ここまでに2つの橋があったが、いずれも赤く塗られていたのは、この道が室生寺へ参詣する本道に違いない。昔の参詣者と同じ道をたどるほうが趣きがある。


じきに室生川に出た。ここから道は、川沿いを通っているらしい。向こうには例の柱状節理の岩壁が続く。これを見るだけでも選択は間違ってはいないように思われる。

しかし不安もあった。まだ兵庫県西宮市に住んでいたころ、家族で室生寺に来たことがある。このときは室生口大野の駅前からバスで行ったが、川沿いの道は狭く、歩道はついていなかったような記憶がある。

車が多くて、そのたびに脇によけるのはかなわんな。山側を行っているときは崖にへばりつき、川側を行くときはガードレールにへばりつくというのでは、さっさと歩けないのではなかろうか。


この心配は無用であった。道(県道28号線)は新しく作られていた。立派な歩道もついている。

右側は旧道であるらしい。落石を防ぐトンネルの幅では車は1台しか通れそうにない。もしも道が新しくなっていなかったならば、この狭い道を行かねばならなかったわけだ。

歩道は広い。車線と同じくらいの幅があって、これなら3人が並んででも歩ける。案外なことに車の通行は少ない。バイクも気持ちよさそうに走っている。


トンネルがあった。昨年3月にできたとプレートに書いてある。トンネル内の歩道を行く。

歩いているのは私だけである。室生川は右に見えたり、左に見えたり。左右が入れ替わるたびに橋を渡っているのであるが、どの橋も赤い欄干が付いている。

今日は5月の気温であったらしい。風は心地よい。ところどころで桜が咲き、川はジャワジャワと瀬音を立てて流れる。

川向こうは相変わらずの切り立った岩である。この岩壁にさえ、つつじであろうか、花をつけた低木が1本2本と生えている。細い桜の木も花を咲かせて、たまに生えている。

大野寺の枝垂桜は豊満であったが、それだけに鈍重な感じを受ける。こちらの桜の花はまばらで貧相ではあるが、自生したものだ。寺の庭で育てられたのとはわけが違う。花の数は少ないが気概はあるぞ。といった感じ。谷間のユリならぬ、谷間の桜。


山道を進むと暗い上に、回りの景色が見えず単調であるが、川沿いを行くと明るく、川の様相が変化して飽きない。

おそらくは50畳敷きの岩とか呼ばれてもよいような岩床があり、水深く緑色になった溜まりがあり、流れが激しく音高いところがあり、淀んだところがあり、野鳥がえさを探していたり、である。



どうやら室生の村に着いたらしい。土産物屋や食堂が並んでいる。



室生寺へ渡る太鼓橋が見える。赤い橋はここで終り。



1時間30分くらい歩いたのだろうか。たどり着いた安堵から一服したくなった。上の写真を撮ったところには、回転焼きの店があって、おじさんが回転焼きを焼いている。

ただの回転焼きではない。「よもぎ入り回転焼き」と看板が出ている。写真を撮らせてもらって、1個ください。値段を聞けば80円である。悪いので2個買った。




隣に休憩所があるので、腰掛けて食べる。ちょっと前に焼いたものか、あるいは「よもぎ」を混ぜるとそうなるのか、やや固かった。

客は誰もいなかったが、道行く人が私をみて誘われたように、回転焼きを買いにくる。若者が1人、おばさんが1人、老人が1人買っていった。

親に引き連れられた子供が、私も欲しいとねだったら、親はダメと拒絶した。うちにも、ああいう時期があった。子供は親と一緒に出かけるのが嬉しいだけで、室生寺なんぞを見ても面白くなかろうに。

ともかく写真を撮らせてもらった替わりに、客を呼び寄せるサクラの役割は果たした。

太鼓橋を渡れば、室生寺の境内である。室生寺は女人高野として名高い。観光バスでやってくる人も多い。太鼓橋の手前の旅館で宿泊する人もある。

拝観料は500円。この石段を登れば金堂・本堂・五重塔がある。石段の両側には石楠花(しゃくなげ)の木が植えられており、4月下旬のシーズンには華やかに花が咲きそろうらしいが、まだつぼみであった。

若い人はそういない。多くは50代からの人である。一人で来ている人も少ない。同行者とワイワイ言いながら巡っている。

道に沿って、白地に赤字でなにやらを書いた幟が建ち並んでいる。何であろうかと近づいて読めば「女人高野・田川寿美子」とある。歌謡曲の宣伝である。

入り口に「上着を腰に巻きつけての参詣はお断りします。」と、矜持ある看板がでていたが、この幟はあちこちにあったので、レコード会社はお寺とタイアップしているのか。(歌手が寺に縁のある人間だったりして。)

まずは弥勒堂。鎌倉期のもので重文。弥勒菩薩立像(重文)が本尊。脇壇には釈迦如来座像(国宝)と役行者(えんのぎょうじゃ)の像がある。


金堂。平安初期のもので国宝。 寺でもらったパンフレットによれば、もとは桓武天皇が皇太子時代に病気となり、奈良の興福寺の5人の僧がこの地で病気平癒の祈願をしたところ卓効があったので、勅命によって創建されたのが始まりであるらしい。

興福寺は法相宗、その後天台宗に変り、真言宗に変り、いまでは真言宗室生寺派の総本山となっている。

金堂に安置されている仏は釈迦如来(国宝)これが室生寺の本尊。両脇に薬師如来、地蔵菩薩(重文)、文殊菩薩(重文)、十一面観音(国宝)など計5体。

これを取り巻くように十二神将像(重文)が配置されている。豪華である。



本堂。鎌倉期のもので国宝。灌頂堂(かんじょう)ともいう。密教の灌頂儀式を行なう。

金堂は平安期、本堂・弥勒堂は鎌倉期のものである。いわれるように、平安期の建物は優美であり、鎌倉期のものは毅然としている。

こういう様式である上に、建物は大きくなく、瓦葺ではなく桧皮葺き、というのが室生寺のよき雰囲気を作っている。ようするに品のあるお寺である。



最も有名な五重塔。寺のパンフレットには天平期のもので国宝とある。ほかの古い建物や仏像が平安期のものであるから、これだけが天平といわれてもなあ。

しかし高さ16メートルの小さな五重塔は、これまでに数限りなく写真に撮られ、絵に描かれてきた。入江泰吉も撮った。土門拳も撮った。

塔の下の石段下には、多勢がならんでカメラを向けている。大野寺の枝垂れ桜と同じで、塔の前に立つのがはばかられるほどである。

見上げて撮るアングルの場所を避けて、道を登って、見下ろす場所から撮った。






このまま道を登って、奥の院に行ってみる。奥の院は納骨のためのものであるから、まず興味を引くものはないが、石段が700段とかあるというので、体力測定のつもりで登ってみることにした。

以前に来たときにも、ハアハア喘ぎながら家族全員が登った。キツかった記憶がある。

しかし今回は思ったほどではなかった。案外ではないか。これも半年続いたテクテクのお陰であろうか。

登っているのは中年以上の人ばかりである。悲惨なほどに顔を歪めている人もある。エライなシンドイなと大声で話しながら登っていくおばさんもいる。10段登っては立ち止まって息を入れるおばあさんもいる。

喪服を着用した団体もいた。納骨のために訪れたようである。しかし今は登れても、10年後には登れるとは限らない。

脚力が衰えるどころか、強くなっていることに十分に満足して下ってきた。寺の出口近くには休憩所とトイレがあり、どちらも寺の雰囲気を壊さぬように桧造りになっている。

休憩所で腰掛けて一服していたら、春の風が吹いて、実に心地よいのである。人も少なかったので、そのまま寝転んで、なんと1時間も本を読んだ。

室生寺を出たら、竜穴神社の案内がある。800m、徒歩10分というのだから、行かない手はない。


室生川を上る。向こうにひときわ高い杉木立が見える。あれらしい。

室生寺のパンフレットに、この地では奈良時代から竜神信仰が始まり、干ばつ時にはしばしば雨乞いの祈願が行なわれた。とあった。その祈願の地がこの竜穴神社である。

雨乞いをするための神社があるのは、宇陀の山々は奈良の水源であるのがその理由だが、竜神を祀ることについては、栗田 勇さんは「飛鳥大和 美の巡礼」で、以下のことをいわれている。

水神信仰がそのまま竜に結びつくのであれば、各地の水分神社(前回は宇太水分神社(うだみくまり)を訪れた)は竜神を祀らねばならないが、そうではない。

この地に限って竜神信仰が生まれたのは中国の四神(青竜・白虎・朱雀・玄武)に関係がある。青竜は東、白虎は西、朱雀は南、玄武は北を指す。 宇陀は飛鳥から東の位置にあり、ここに青竜を配するのは鎮護国家の思想を具現したものである。この地は水源の地というだけではなく、国家的なスケールでの聖地なのである。らしい。

なるほど、ヤマトの中心は三輪山だが、ここから真西に二上山(當麻寺)があり、ここから真東に室生寺がある。 そういわれればそうかも。わざわざ室生で病気平癒の祈願をし、室生寺を作ったのも、そういう意味があったのかも知れない。


竜穴神社の案内板によれば、少し離れたところに山に登る道があり、これを登れば吉祥竜穴(きっしょうりゅうけつ)と呼ばれる神域があるそうだ。

こここそが水の源であるようだ。行ってみることにしたが地図はない。たどりつけるかどうか。しかし意外にも道は舗装されていてトラックでも行けるほどの道幅であった。

道の山側は、例の安山岩の岩壁の箇所が多く、風化によってもろくなった部分がはがれ落ちている。そこここに岩壁から落下した岩や石が道路の脇に寄せられている。 キケンな道である。できるだけ谷側を歩く。

道なりに行けば、迷うことなく吉祥竜穴に着いた 。鳥居をくぐって谷に降りるのである。


滝があった。スベリ台状の滝で、高低差はさほど大きくない。10mほどか。これだけでは単なる布引の滝といったところだが、その水が流れてくるところを見ると驚く。

水は滝の上から流れてくるのではない。写真の左側から流れて、滝の上で右に90度方向を変えて、落下している。水が出てくるところは、岩壁に「ヘ」の字の格好の穴があいており、その穴から湧き出ているのである。(そのように見えた)

竜の口から水が湧き出している、あるいは竜の住む穴から竜の世界の水が湧出しているかのごとくである。

その岩壁とは写真のもの。高い。滝から50〜100mほどはあるように思われる。写真には上部の半分しか入っていない。

崖の下半分。例の柱状節理の高さ50mから100mの岩が、垂直に屹立している。写真の中ほどやや下に滝の上の水溜まりがみえるだろうか。水面の向こうの岩壁に穴があいていて、ここから水が流れ出し、すぐに滝となって落下していく。

(そう見えるだけで実際には穴の横に小さな谷川筋があるのかも知れないが、神域なので入れない。また確かめるには滝を登らねばならず、これはできない。)

もしも現代の私のように舗装された道をたどって来たのではなく、古代の人が木立を掻き分け掻き分けして、この場所を見つけたなら、ここは神秘の場所、神々しい場所、聖なる場所であると思うのは当然であろう。

この水が下に流れて、室生川に注ぐところに竜穴神社があるわけだ。


帰ろう。

岩壁を左手にして山を下る。室生の秘密のひとつはこの岩壁にある。


室生寺前の食堂で山かけソバを食べる。700円。味は?だったが、おみやげに割り箸をくれた。

この食堂の前からバスで室生口大野まで戻る。バス代は400円。車内はちょっとしたラッシュとなる。

近鉄のプラットホームから桜を見て名残を惜しむ人たち。万歩計は25100歩であった。


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