長谷寺

    No.15.....2003年4月27日(日曜)


行く先の目次... 前頁... 次頁... 奈良盆地の地図... 奈良県東部の地形... ...てくてくまっぷNo.45


「No.45 鳥見山公園・長谷寺コース」の「てくてくまっぷ」は右のもの。

3月末に宇陀郡榛原町(うだぐん・はいばら)を歩いた。ここで知った水分神社から川を下れば宇陀川に至り、この宇陀川に室生川が合流するということから、前回は室生川を中心に大野寺・室生寺・竜穴神社を訪れた。これは榛原町を分水嶺とする東側への川の流れである。

今日は西側の川の流れである初瀬川を中心に長谷寺に詣でる。まっぷでは「鳥見山公園・長谷寺コース」の両端部分だけを歩くことになる。

庭(というほど広くはないが)の花水木が花をつけた。これは家内が苗木を800円とかで3本買ってきて植えたものだが、2本は5〜6年ほど前から白色とピンクの花を咲かせるようになった。(1本はなかなか大きくならない。)

私は植物についてはさほど興味もなく、したがって知らないことばかりであるが、この木は、春には花が咲き、夏には青葉が茂り、秋には葉が紅色に変り、落葉してからは来年のための蕾の殻をつけるという、ほぼ1年を通じて楽しませてくれるものであることを知った。

木の手入れはしないから、いつかは枯れるのであろうが、育てる主がいなくなってから3度目の開花をした。

まあ家内の「忘れな草」である。


前回の室生寺は「しゃくなげ」で、長谷寺は「ぼたん」が咲きそろうことで名高い。どちらもその時期に訪れたことはないが、今回は「テクテク」のお陰で、花の時期に「長谷詣で」ができることになった。

近鉄電車では、名張→赤目口→三本松→室生口大野→榛原→長谷寺(→朝倉→桜井と続く)と、名張からわずかに5つ目の駅。運賃は390円。

名張から榛原までは上り坂、榛原から桜井へ向かっては下り坂となる。 写真は榛原を過ぎて長谷寺駅間近のところで、車窓から撮った。西(左)に傾斜している。中央の道は国道165号線。これが昔の伊勢街道(このあたりでは初瀬街道という)。国道に沿って初瀬川(の支流?)が右から左に向かって流れている。

向こうの山は大和高原に続く。電車が走っているこちら側は宇陀高原に続く。大和高原は「大和青垣国定公園」に指定されており、宇陀高原は「室生赤目青山国定公園」に指定されているが、その境目はこの初瀬川であるようだ(不確か)。



長谷寺は、奈良県桜井市の初瀬(はせ)が「字」である。桜井の中心は三輪山であるが、この東隣の山が初瀬山で、その中腹に長谷寺はある。

初瀬川を遡ると、桜井の平地の東端から土地は少しずつ高まっていくが、その東端に欽明天皇の磯城嶋金刺宮(しきしまのかねさし)があり、さらに東上すれば雄略天皇の泊瀬朝倉宮(はつせあさくら)があり、武烈天皇の泊瀬列城宮(はつせなみき)があった。

初瀬は桜井駅から5kmほどのところであり、ヤマトの一部であるが、「隠国(こもりく)」の初瀬と呼ばれている。平地の奈良盆地からすれば、やや山地に入りかけた位置ではあるが、「こもりく」というほどの山中ではない。大和高原(都祁村)や宇陀高原への入り口といったところ。

近鉄長谷寺駅は初瀬川の位置からはかなり高いところにある。駅を出るとわずかな平地があって「歓迎」の門があった。



この門をくぐれば、写真のように降り階段や下り坂が続き、初瀬川まで降りていく。

階段下で、おじいさんが「朝掘りのタケノコ」を売っていた。自転車の荷台に積めるだけ積んで、運んできたらしい。直径20cmほどもある立派なタケノコである。

筍は好物だ。「木の芽あえ」は私の好物の5指に入るくらい。朝掘りのタケノコはうまいやろな。 しかし惜しいな。これから見物に行こうという人が重いタケノコを下げて行くはずはない。売れんやろな。



長谷寺の参道の始まり。時刻は9時半ころ。

家を出るとき、近所の奥さんに会って挨拶をしたら、「今日あたりは、長谷寺は人でいっぱいやろな」といっていた。

ぼたんの咲くこの時期には、長谷寺を訪れる観光客であふれるらしい。近鉄電車も日頃は止まらない急行電車が、長谷寺駅に臨時停車する。

今日は人ごみにもまれるテクテクかと思っていたら、意外な人の少なさであった。時間が早いのか。




参道から路地の向こうに、長谷山口坐神社(はせやまくちにいます)の看板が見えた。今日のコースは短く、時間はある。寄り道する。

神なびた山には「山口神社」があるということは、これまでのテクテクでわかった。耳成山口神社畝傍山口神社石寸山口神社があった。

初瀬の山も神宿る山であったらしい。赤い橋を渡ったところに石碑が立てられており、「元伊勢・磯城伊豆加志(厳樫)本宮 伝承地域」とある。

「元伊勢」である。元伊勢神社といえば、桧原神社もそうであった。伊勢神宮は、三輪山の桧原神社から初瀬山の磯城伊豆加志神社(しきいづかし)へ、さらに宇陀の山を越えて、伊勢に落ち着いたのか?


由緒書きによれば、11代垂仁天皇の時代、磯城厳樫(しきいづかし)の地に8年間ほど天照大神を祭り、随神としてこの場所に手力男を祭り、北の山には豊秋津姫を祭った、とある。

磯城厳樫(いつかし)というのが、聖地であるのですな。


参道に戻る。軒下に万葉歌碑があった。額田王の歌であるらしい。

  三室のやま
  みつつゆけ
  吾が背子が
  い立たしけむ 
  厳樫(いつかし)の本(もと)

いきなり「厳樫」がでてきた。額田王も大海人皇子も三輪山から厳樫へ、何度か訪れたことは確かなようだ。


その参道では、草餅を製造直売している。道に二人ほど出て、焼きたての草餅を配っているのである。気前のよいことだ。だがこれから長谷寺に参ろうかという人ばかりだから、試食品を貰っても、誰も買おうという人はいない。タケノコのおじいさんと同じ。

ところが長年商売をしているだけあって、「帰りに買うていってや。宝国堂の名前を覚えといてよ。」といいつつ配るのである。私にも差し出されたが、昔この店で同じ草餅を買った覚えがあったので、ちゃんと買うことにした。

小ぶりであるので3つは食べられそう。注文したら店の中にいる店員が急いで焼き始めた。おお、試食品は作り溜めしていたが、売り物は焼きたてをくれるらしい。

餅はやわらかく、餡もよく、焼いてつけた焦げめがサクっとしてうまい。店先で結局4つ食べた。375円。




長谷の地酒「こもりくの里」というのもある。「こもりく」が売りなのですな。




参道は左に折れる。曲がると正面に長谷寺が見える。ここまでの参道は人はまばらだったが、人群れができている。どこから湧いて出たのか。向こうに観光バスなどの駐車場があって、車で来た観光客であるらしい。




道路の向こう側は長谷寺の寺域である。中段に仁王門があり、その右手上方に本堂の瓦屋根が見える。

長谷寺は真言宗豊山派(ぶざん)の総本山であり、西国三十三所観音霊場の8番札所でもある。

どうでもよいことながら、私の家も真言宗である。墓所は広島県三原市にある正法寺。ここに父・母・妻がいる。正法寺は真言宗仁和寺派であると聞いた。

名張では、西田原にある弥勒寺さんにお盆の供養をお願いしている。(母の葬儀と家内の葬儀の2度、導師をしていただいた)。

弥勒寺は真言宗豊山派である。長谷寺のパンフレットによれば、豊山派の末寺は3000余とあるので、弥勒寺も3000寺のひとつであるが、実はこの弥勒寺は名張市にいくつかある国の重要文化財の半分をもつほど古く、物持ちのよい寺である。

弥勒寺の住職は気さくである。このテクテクを書き始めて3、4回目に、「同行二人(どうぎょうににん)を見ましたで。」と電話を頂戴した。ま、こういったわけで、長谷寺には少しの縁がある。








仁王門。脇に立っている縁起文を読むと、
  1. 長谷寺の創建は686年。天武天皇の勅願によって、弘福寺(川原寺)の道明上人(どうみょう)が銅板法華説相図(国宝)を西の岡に安置されたのが始まり。

  2. 727年、徳道上人(とくどう)が聖武天皇の勅命によって、東の岡に十一面観音菩薩を祀り、西国三十三霊場巡拝の開祖となられた。

  3. 真言宗豊山派総本山となったのは、(これは後で知ったが)紀州根来寺にあって秀吉の根来攻めに遭遇し、高野山に逃れていた専誉僧正(せんよ)が長谷寺に入山し、学問寺として以来である。
という歴史であるらしい。

拝観料は500円。仁王門をくぐると、いきなり登廊(とうろう。重文)がある。本堂に向かって、折れ曲がりながら伸びている。

長さは108間。399段とある。

登廊は、上・中・下の3つの廊下(渡り殿)に分かれていて、これは下廊。下廊はスタートしたばかりだから、1段の高さは低い。5〜7cmくらい。果たしてこれを石段といってよいのかというくらい低い。

登廊には壁がない(透かし渡殿)。両脇には「ぼたん」が一面に植えられていて、参詣者は右を見たり左を見たり。

ぼたんが咲きそろっているところでは、観光客はかたまって見る。半数が写真を撮る。

こういう気ままができたのは、参拝客が少ない時刻だったからである。11時を過ぎると、登廊は人であふれた。立ち止まることはできない。押されるように登っていく様子であった。

ここで右に折れて、中廊になる。いくぶんかは勾配がついたかという感じ。

豊山派である。真言宗にはXX派が多いように思われる。室生寺も室生派総本山とあった。そして仁和寺派。知っているだけでも3つある。調べてみた。

全真言宗青年連盟というHPがあって、18の総本山が載っている。(室生寺は載っていなかった)。

@善通寺(香川)、
A須磨寺(兵庫)、B清澄寺(清荒神・兵庫)、C中山寺(兵庫)、
D大覚寺(京都)、E仁和寺(京都)、F智積院(京都)、G泉涌寺(京都)、H東寺(京都)、I観修寺(京都)、J随心院(京都)、K醍醐寺(京都)、
L宝山寺(生駒聖天・奈良)、M朝護孫子寺(信貴山・奈良)、N西大寺(奈良)、O長谷寺(奈良)、
P根来寺(和歌山)、Q金剛峯寺(高野山・和歌山)
京都は別格として、だいたいが山の中にあるようだ。

最後の上廊になる。ここの石段は段差が15〜20cmと高くなっていて、勾配は急になる。といってもたいしたことはないのだが、老人には応えるらしく、立ち止まりながら登る人も多い。杖を用意してきている人もある。

登廊を上り切ると本堂がある。本堂には10m(光背をいれると12m余り)を超える木造十一面観音が祀られてある。

写真の屋根が2層になったところが本尊のある建物。なにしろ12mの観音像を安置せねばならないのだから、建物は巨大になる。屋根は2層になっているが、内部は1階ぶち抜きで、これは東大寺と同じ。


中は暗い。写真右手が正堂。間口9間・奥行5間。ここに見上げるような巨大観音像がある。参拝者はこの通路を通って、右を向いて礼拝する。お賽銭を100円。

左手には礼堂(間口9間・奥行4間)があるが、普段は入れない。参拝の通路の幅が1間あるので、本堂全体としては間口9間・奥行10間の長方形ということになる。

(十一面観音菩薩の写真撮影は禁止なので、 長谷寺のHPを見て下さい。)

長谷寺には2度来ているが、実は肝心の十一面観音菩薩像についての記憶が少しも残っていないのである。今日初めて見たという感じである。今見ると、いや大きい。東大寺の大仏とまではいかないが、見上げるほどである。それも大きく見上げなければ光背の上部は見えない。

全体が金色である。像が大きいために視界の全部が黄金色となって、押しつぶされそうなほどの迫力がある。映画館の最前列の席から巨大スクリーンを見上げているのと同じ。



パンフレットには像の高さしか書いていないが、本面は4尺6寸。つまり像の幅は1.4mあるらしい。光背部を入れれば幅は3m近い。例えば室生寺にあった国宝十一面観音菩薩像の高さは2mもなかったから、これほどの大きな観音像を見れば、びっくりたまげたはずだが、驚いた覚えがない。

覚えているのは、男性の老人がこの通路に身を投げ出して、地面に額づき、一心不乱にお経を唱え出したことである。信仰心とはこういうものか。長谷寺には、他の観光寺院とは違う何かがあるのであろうか、と無信心な私は軽いショックを受けた。

こういう記憶があるのだから、観音菩薩像の記憶がないはずはないのだが。子供を連れて来ていたので、よく見ていなかったのか。老人の所作が観音像の記憶を吹っ飛ばしてしまったのか。ひょっとして当時の照明では暗すぎて見えなかったのか。(最近は明るくして、よく見えるようになったのでなかろうか)

写真は通路を抜けて撮ったもの。白い上着の人の視線は天井の上まで伸びている。観音菩薩像はこの大きさ。



本堂の南面には回廊があって、その南に外舞台がある。京都清水寺と同じ。

向こう(左手)は東。手前の山は与喜山というのか。長谷寺の寺領で伐採を禁じてきたために原生林となっていて、天然記念物になっている。とまっぷにある。

たぶん三輪山が禁足地であるのと同じで、この山も先の長谷山口坐神社のご神体なのだろう。

右手のやや霞んだ山は宇陀の山か。




よいしょと本堂の敷居に腰掛けて、遠くを眺めやる。

多くの人々が長谷寺詣でをするのは、どうやら真言宗豊山派総本山であるからというのではなく、西国三十三か所観音霊場の8番札所であるから、というのが大きな理由であるように思われる。

豊山派総本山であるので、若い坊さんがうろうろしている。定時のお勤めをする人たちがあり、観光客に説明をする係りの人たちもいる。食事を運んでいる坊さんもいた。末寺3000寺の師弟が修行に来ているらしい。

まだ20歳くらいかという若い坊さんに、「長谷寺は8番札所というけれど、1番札所はどこでしょう?」と尋ねたが、知らないという。「たしか飛鳥の岡寺も札所ですよね」と聞いても知らない。まあ修行中なのだから無理ないか。

実は私も知らない。33か所のうち、これまで訪ねた岡寺・長谷寺の2つをかろうじて知っているだけである。これは調べねば。




本堂を出た。登廊を引き返すことはできない。昼近くになった今は、登廊は本堂を目差す観光客であふれている。「登りだけです。下ることは出来ません。」とアナウンスがあった。

登廊を伝って本堂まで来た後は、弘法大師御影堂→本長谷寺→五重塔→本坊などを巡って、周りの庭木を愛でつつ仁王門の外にでる、というコースになっている。写真は御影堂。新しい建物だった。

長谷寺は「わらしべ長者」の物語の舞台であるそうな。「日本昔ばなし」のテレビ番組を思い出しますな。

そうか。男が観音さまに参った帰り道。転んだ拍子に1本のワラを掴んだ。アブを捕まえて、そのワラに結んでいたら、みかんと交換することになり、これが反物になり、馬に換わり、....と次々に価値の高いものに変っていき、しまいはお屋敷に住むようになった。というあれですな。

浅草かどここかの観音さんのことかと思っていたが、長谷寺だったのか。長谷寺の観音さまのご霊験はこのようにあらたかである。




西国三十三観音霊場は、西国三十三所巡礼の旅(公式ページ)に詳しい。これによると、1番札所は和歌山の青岸渡寺(那智山)、2番札所は紀三井寺、3番・粉河寺、4番・巻尾山、5番・葛井寺、6番・壺坂寺、7番・岡寺、8番・長谷寺、9番・興福寺(南円堂)・・・・と続く。(清水寺は16番札所)

平安中期(1000年頃)の花山天皇(かざん)が退位して上皇となって政事から離れ、この順に33か所の観音霊場巡りをされた。これがX番札所の順番となったらしい。

壺坂寺もそうだったのか。これですな。霊験があればこそ、人々はこぞって観音さまを訪れる。







ここからは庭木を見ることになる。桜の木も多かったので1か月前は桜が満開だったのだろう。

今はシャクナゲが咲いている。


葉桜の並木の中、石段を下る。つつじやシャクナゲも植えられているが、ここはまだ花は咲いていない。

本堂から西回りに下ってきた。ここは本坊前のぼたん園。

パンフレットによれば、全山に150種類7000株のぼたんが植えられているらしい。

ぼたんばかりではない。3月下旬から桜、4月下旬からぼたん、ついでシャクナゲ、6月は紫陽花、秋は紅葉、冬は寒牡丹、とほぼ年中、何らかの花が咲くそうだから、世話する植木屋さんは年中忙しい。

まあ桜やシャクナゲの手入れはいくぶんラクそうだが、庭木の手入れをしたことがないので、何がどう大変なのかは知らない。


唐の皇妃・馬頭夫人が献木したぼたんが、今に植えつがれているといわれる。どの種類がそれなのか知らないが、中国人はぼたんが好きそうですな。


ふと思った。長谷寺はテーマパークに似ている。

@仁王門をくぐって、登廊を登り始める。勾配はゆるやかだから石段を登っているという感覚ではない。左右の庭木に見入るうちに、下廊を曲がり中廊を登っている。

A上廊はやや急勾配となるが、息が切れるほどではない。だがここで少し「しんどいな」と思わねば、本堂に辿りつくありがたさが出てこない。

B上りきれば本堂がある。暗い通路を進めば、正堂の中に十一面観音が浮かび上がる。聳え立つといってもよい。その大きさ、きらきらしさに驚く。

C外舞台に出れば、そこは一転して明るい外界である。初瀬の山々・宇陀の山々を見渡していれば、心地よい風が吹いてくる。



D本堂を出て、手入れが行き届いた木立の中の道を進めば、御影堂、一切経堂、五重塔、六角堂を経て本坊へ到る。ここにはぼたん園がある。

E本坊から、桜・シャクナゲ・ぼたん・つつじが植えられた道を下れば、仁王門の外に出る。ああ長谷寺巡りは終わったのか。

こういう次第である。何も考えることなくひと巡りした後には、満足感が残っている。このコースを考えた長谷寺はエライ。


長谷寺を出た。長谷寺の横には初瀬川が流れている。近鉄長谷寺駅を下ったところでは初瀬川は1本の川筋であった。この川に沿って東に進んで長谷山口坐神社に着いた。このあたりで2本の川が合流している。

地図を見ると、1本はそのまま東に伸びて榛原町に到る。もう1本は北に曲がり、長谷寺の東を通っている。これを遡れば初瀬ダムに着く。さらに川上を探れば鳥見山の北斜面に到る。どうやら鳥見山が源流のようである。

写真は初瀬ダムへ通じる道。2本の川は、どちらが本流でどちらが支流であるのかは不明だが、「初瀬ダム」と名がついているのだから、こちらが初瀬川の本流か。



別にダムを見たかったわけではない。「こもりく」と枕詞がついている初瀬の源は、どれほどの隠国(こもりく)の程度であるのか、実感したかったのだ。


土手に白い花が咲いている。雑草であるにしてはキレイである。

ぼたんよりも、こっちのほうが好きである。ぼたんの花は厚かましいような、押しつけがましいような印象を受ける。

(その後すぐに、メールでこの花は「シャガ」であるとお教えいただいた。調べてみるとアヤメ科の植物で、水はけのよいところ(例えば池の周り)に植え、5〜6月に咲く、とあった。「清楚な花」ともある。そうか私は「清楚」のほうが好きだったんだ。)


30分ほどで初瀬ダムに到着。ダムは小さかった。雨が降ったためか、水も濁っていた。

それよりもアスファルトの道路をわずかに登っただけで、ひょいとダムが現れたのが拍子抜けだった。「こもりく」とは言えぬなあ。


時刻は12時15分。今日はちょっとしたお楽しみを用意していた。長谷寺の参道で、おにぎりと缶ビールを買って、ビニール袋を下げて来た。

ベンチで食べる。おにぎりは3個。たまご焼きが1切れと、胡瓜の漬物が1片入っている。400円だった。

周りには誰もいない。一人でモソモソ食べて、寝転んで本を読む。読んでいるうちに眠くなって少しまどろんだ。

長谷寺駅に戻った。プラットホームから西をみれば、なんだ桜井の町が見えるではないか。三輪山もあるぞ。 これで「こもりく」はなかろう。誇大表示ですな。





まだ2時半である。向こうのホームにいる人たちは大阪へ帰る。さっき行ってきた初瀬の山並みを見ている。

万歩計は19400歩であった。


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