奥香落高原

    No.21.....2003年11月1日(土曜))


行く先の目次... 前頁... 次頁... 奈良盆地の地図... 奈良の山々... ...てくてくまっぷNo.1


前回、葛城山に登ったおり、葛城高原はススキの大海原であるとまっぷにあった。ロープウェイで山を下るとき、乗客のご老人が、「以前にきたときは一面が白いススキで覆われていて感激したが、今日はたいしたことがなくガッカリだ。」ともいっていた。

さいわい、名張の近くには亀山(かめやま)という山があって、ここもススキの名所であるらしい。「てくてくまっぷNo.1」である。

亀山は曽爾高原(そに)にある。曽爾高原には「国立曽爾少年自然の家」という宿泊施設があり、うちの子供たちも小学校の5年か6年生の林間学校では、ここへ行って泊まっている。行っていないのは私だけである。

亀山は No.16 奥香落高原・屏風岩コースで訪ねた鎧岳・兜岳・屏風岩のすぐ東にある。とはいっても、鎧岳・兜岳・屏風岩は青蓮寺川(しょうれんじ)の西に屹立しており、亀山・倶留尊山(くろそ)は青蓮寺川の東にある。

亀山に登って西をみれば鎧岳・兜岳・屏風岩の全貌が見える。亀山と鎧岳との間は青蓮寺川が流れているので、眺望をさえぎるものがないからである。

さらに亀山の東には名張川が流れているので、亀山から東を見れば、東にある大洞山・尼ケ岳をすっかり見ることができるらしい。

ススキである。小さな我が家の西隣りは空き地である。この土地の所有者は誰だか知らないが、毎年草が枯れた年末には、委託して草刈をしてきれいにされている。しかし春から夏にかけてあっという間に草ボウボウとなる。毎年これを繰り返している。

自生する草は少しずつ変わっているようであるが、ススキは毎年生える。最近ではセイタカアワダチ草というのか、これも混じりはじめた。

ついでにいえば、写真左には道路がありその前(南側)も空き地であるし、写真手前にも道路があって、その前(東側)も空き地である。つまり我が家の3方は空き地である。

北隣りには家がある。その続きには空き地がなく10軒ほどの住宅が立ち並んでいるが、北隣りの家は昼間は仕事に出かけて犬が留守番をしているだけである。お陰で日中に、CDを大きな音でかけても気兼ねをすることがない。この立地の環境は気に入っている。

隣の空き地のススキの色が白くなったのを見とどけて、亀山に行くことにした。


バスで行く。このバスは鎧岳・兜岳・屏風岩へ行くときに乗った。今日は太良路(たろうじ)というバス停で下車する。鎧岳の手前である。鎧岳を再び見ることができるのは楽しみだ。

前回、鎧岳へ行ったときバスの乗客は私一人だったが、今日はススキのシーズンとあって13人の乗客があった。前回と同様に8:00分発のバスである。8:37分に太良路に着く。運賃は720円。



空は晴れているが、青蓮寺川沿いに進んでいるうちに霧が発生してきた。せっかくの柱状節理の山々も頂上部は霞んでよく見えない。

霧がおさまればよいが。



時間通りに太良路に着いた。私を含めて5人が降りた。1人は私同様に1人で登山する中年の男性で、あとは中年女性の3人組であった。どちらもちゃんとした登山のスタイルである。

私はセーターに合成皮革靴で、普段家にいるときの格好である。皆が登山者然としている中に混じるとやや恥ずかしい。

立ち去るバスの上方にはあの鎧岳が聳えているはずであるが、霧はさらに濃くなり、見えない。

「まっぷ」によれば今日のコースは舗装道路が多くラクそうであった。3時間か4時間で歩けるような感じである。

帰りはこの青蓮寺川沿いのバス路線ではなく、亀山を東に越えて、名張川沿いのバス路線で帰る。





心配なのは帰りのバスの便であったので、出発する前にバス乗り場の係りの人に尋ねたら、帰りの最寄のバス停の時刻表は、@11:30、A12:00、B14:59、C15:26 ・・・ということであった。

つもりでは午後1時か2時にはバスに乗って帰ろうと思っていたが、12:00から14:59までは3時間の空白時間がある。相当に急ぐかゆっくりするかして、バスの時刻に合わさねばならない。

霧が晴れるのを待つことにした。上の写真の左の家は酒屋であった。パンや菓子も売っていた。店の前に小さい木製のテーブルと2脚の椅子が置いてあったので、パンとジュースを買い、これに腰掛けて食べながら待った。

少しずつ霧が消えていく。鎧岳の山頂が姿を現してきた。もう大丈夫であろう。

たぶんこのあたりの道路は真西を向いているはずで、写真の鎧岳は東側から見た姿である。前回に見て、その姿のよさに感心した鎧岳はこの道を進んだ新岳見橋から北向きに見たものである。

鎧岳は写真の東面よりも、前回の南面のほうが姿がよい。

写真左にある橋を渡る。

道は舗装されている。自動車も4〜5分に1台は通っている。その先には曽爾高原があるからである。

「まっぷ」に、忘れずに後ろを振り返ること。と親切な注意が書かれている。

何度も振り返った。鎧岳の麓に霧が残っているのが、まるで雲のようである。鎧岳の左、半分の高さに見えている山は兜岳であろう。


まだ少し霧が残っている。この時期だから夜間に山は結構冷え込むようだ。日が差し始めると、冷えて露になった水滴が蒸発して霧を発生させているのであろうか。少しの霧は歩いていて気持ちがよい。

立ち込めていた霧が次第に晴れていくさまは、ブルックナーの9番シンフォニーの第1楽章の出だしのようである。

どうでもよい話ながら、ここ7年間は毎年1枚の音楽CDを自分用に作っている。日記(年記)代わりである。その年のことは1枚のCD-ROMに入っている。

CDに収めたどの曲も1年間に500回や1000回は聴いている。とはいってもほとんどはBGM(バックグラウンド・ミュージック)としてかけているので、耳に馴染ませているといったほうが正しい。

聞き流しているようでも、1000回も音が流れていれば、その曲のだいたいは頭の中で演奏することができるようになる。うろ覚えのところはたまにチャンと聴いて、こうだったのかと訂正する。



向こうに見えるのは方角からして倶留尊山(くろそ。1037m)であろうか。そうなら、その右側に亀山があるはずだが、ここからは見えない。

はじめの2年間は、全部モーツアルトの曲である。1997年と1998年の2枚のCDに各7曲ずつを入れている。次の1999年はドヴォルザークとブラームスの7曲が入っている。

2000年はベートーベンの2曲(交響曲3番の1楽章・2楽章)。この年から長い曲が好きになり、ナカナカ覚え切れなくなった。演奏時間が15分を超えると頭のなかでごちゃごちゃになる。

2001年はベートーベン(交響曲9番の1楽章)とブラームス(クラリネット五重奏曲の1楽章と2楽章)になり、2002年はブルックナー(交響曲8番の1楽章と4楽章)になった。

今年2003年はブルックナー(交響曲9番の1楽章)だけで終わりそうだ。なにしろシューリヒトの指揮では25分25秒、ヴァントの指揮では26分2秒かかる。とうてい覚えきれるものではないと思っていたが、なんとかなりそうだ。


地図でみると歩き始めた太良路の標高は350m〜400mのようである。道はよいので喘ぐこともなく、写真の位置にやってきた。

「曽爾高原ファームガーデン」とある。すでにして曽爾高原に入っているらしい。このあたりの標高は450m〜500mであるようだ。約2km歩いて100mほどを登ったわけだからラクなはずである。

振り向けば、右から@鎧岳、A兜岳、B国見山(これは奥の山)、C左端の山頂が垂直に切り立っている山が屏風岩である。@ACは同じ山塊にある。三役揃い踏みである。



ファームガーデンの敷地内にテントの店が出ていておにぎりを売っていた。亀山で食べようと2個求める。1つは山菜で1つはタクアンとぜんまいの佃煮入りである。

パックはゴミになるのでビニール袋に入れてもらった。 これならかさばらず、ウェストポーチに収まる。

ファームガーデンを出ると、太良路で一緒に降りた3人組が先を歩いている。「まっぷ」とは別の案内地図を持っていて、別のコース(というのは舗装道路ではない山道)を通ってきたらしい。この後また山道に入っていった。

山道は「東海自然歩道」である。私は「まっぷ」に準じて舗装道路を歩く。ラクだし。

道はさらに立派になる。センターラインは塗ったばかりというほどに白く輝いている。今年の春に出来た(道幅を広げたか?)そうだ。

向こうの山は古光山(こごやま。952m)。左に少し角度のある舗装道路があって、これを登れば亀山である。

すぐに終点となる。終点というのは車で来たときのことで、ここには駐車場があるらしい。パーキングの係員がうろうろしている。


この位置は標高700mである。亀山は849mであるから、 ここから山登りをするなら、残りはわずかな高さである。畝傍山にも及ばない。小学生がスキップしていた耳成山へ登る程度である。

それにしても贅沢な駐車場ではないか。屏風岩・兜岳・鎧岳を見晴るかすことができるのである。

地道になる。すでに向こうにはススキが見える。





(次図)亀山および「お亀池」である。亀山山頂は右端のピークである。左の半分杉が植林されている山はピークではなく、二本ボソ(996m)から倶留尊山(くろそ。1037m)へ連なる。(2枚の写真をつなぎ合わせたもの)



お亀池は次第に埋まってきて今は水はないが、湿地である。湿原植物の宝庫であるそうだ。ここには立ち入ることはできない。

ススキの中に道がある。道は黒い粘土質である。どうしてこのように黒いのか不思議に思っていたが、帰りのタクシーの運転手さんが、3月には山焼きをするのだと教えてくれた。奈良の若草山と同じ。

ついでに、なぜこのあたりの木を伐採してススキの野原にしているのかを尋ねたら、「昔の大名が茅葺屋根のカヤを確保するために、この地には植林させなかった、と聞いたことがあります。」

そうか。まあ後で知ったことであるが。


そういえば死んだ家内の母親が、我が家にやってきたときに、季節がそうだったのか、周りの空き地に萱がボウボウと生えているのを見て、家内に命じてこれを刈り取らせたことがあった。よい肥料になるのだそうである。

「お母ちゃんがきたら、こんなことばかりさせるのやから。」と文句をいいながら、暑い中を3日ほど刈っていた。私も手伝わされた。ススキと萱は同じものであるのか。固い葉で手や腕を傷つけながら、初めて知った。

刈ってからも作業がある。幾束かにたばねて、1束を2つに振り分けて、我が家の垣根に干すのである。何日かたって葉の緑色が黄みを帯びたら取り込んで、裁断し、これを大きなゴミ袋に詰める。

10個ほども出来たであろうか。家内は母親と萱10袋を車に積み込んで吉野(母親がいる)へ送っていった。

その次の年も同じことをした記憶がある。実家には萱がいくらかは貯まったようで、後日吉野にいったとき、確かに家の前の畑に刻んだ白い萱が撒かれていた。


推測だが、この地はいわゆる里山だったのであろう。

日曜日の午後7時から日本テレビで「鉄腕DASH」の番組がある。3〜4年前から「DASH村」が始まった。たいてい欠かさずに見ている。

耕作地つくりから、土壌の改良、田植え・稲刈り、果樹園つくり。かまども作れば、炭まで焼いて、昔の農家の仕事を全部見せてくれる。

移築した農家の萱葺きまでやっていた。家の屋根は何かで葺かねばならない。萱であるのか、稲藁であるのか、瓦か、板か、檜皮か。


大名の命令でこの地をススキ原にしたのかどうかは知らない。(このあたりには大名はいなかった。)

ともかく、このススキは肥料にもなり、屋根を葺くこともできるから、麓の曽爾村の農家にとっては重要な場所であったに違いない。

ススキの中に、山の左端から中央の鞍部にかけて1本の小道がある。小道はゆるやかである。

振り返って右手(西)を見れば例の曽爾三山(鎧・兜・屏風)が見える。



南を見れば、眼下にお亀池があり、左手は亀山山頂である。向こうの青い山は古光山(こごやま)である。





鞍部に着いた。鞍部から南を向いてほんのわずかに登れば亀山の頂上である。まあとりあえずは頂上を極めよう。




亀山山頂から北を見ると、山の反対側には杉木立がある。その向こうに岩壁が切り立った茶色い山がある。二本ボソという。その向こうには倶留尊山(くろそ。1037m)が連なる。

やあ道を登ってきたのは、太良路のバス停で一緒に降りた人ではないか。バス停でどこに行きますかと訪ねたら、「曽爾高原」と無愛想な答えが返ってきたので覚えている。

この人がいる少し下が鞍部の一番低いところで、「亀山峠」と呼ばれている。左(西)に下れば青蓮寺川にある太良路、右(東)に下れば名張川にある中太郎生(なかたろう)または上太郎生。どちらもタロウである。私は右に下り、中太郎生を目指す。

亀山峠の横にベンチがあって、ハイカーはここでお茶を飲んだりして一服している。私も買ってきたおにぎりを食べよう。

で、タクアンとぜんまいの佃煮入りのおにぎりを頬張ったのだが、周りをみると誰も弁当を広げていない。

「?」。万歩計の時計を見れば、まだ10時40分である。皆は昼食をとっていないはずである。山菜のおにぎりをそっとポーチにしまった。あとで食べよう。

ということは、中太郎生発の12:00分のバスに間に合うのではないか。しかし、もし12:10分くらいに着けば悲惨である。14:59分までバスは無いのであるから、中太郎生で3時間弱の時間待ちをせねばならない。

「まっぷ」によれば、ここから中太郎生バス停までは約4.2Kmの道のりである。下り坂であるから1時間あれば着けるのではないか。逡巡した末、うまくいったほうに賭けることにする。

先の駐車場は標高700mの位置にあった。同じ曽爾高原であれば、こちらのほうも700mまで下れば高原になっているのではなかろうか。それなら150mほどの下山である。

道は丸太で段がつけられ、あるいは石段(だいぶデコボコしていたが)になっていてさっさと下ることができる。

はたして15分ほどで平坦な道になった。杉小立から日が差して明るい。


高原にでた。後で調べたら「池の平高原」というらしい。標高650m〜600mの高原が続いていた。


左手(西)を見ると、断崖絶壁が続いている。二本ボソから倶留尊山(くろそ)につながる岩壁である。

左端のトンガリが二本ボソで、右端が倶留尊山。倶留尊山のほうが高い。

室生火山群の中にある山であるから、当然に柱状節理でできた岩壁であろう。鎧岳・兜岳・屏風岩と同じ。

(下図)右手前方にはきれいな台形状をした大洞山(おおほら。985m)が見える。正面の三角にとがった山は尼ケ岳(958m)。伊賀富士とも呼ばれている。歩いているこの池の平高原はすでに三重県(一志郡美杉村)である。





道はさらにさらに平坦となるが、ここはまだ台地である。正面に大洞山。

どうみても大洞山は普通の山容である。穏やかにうねっている。鎧・兜・屏風の三山や倶留尊山とはその出来た原因が違うように思われる。

(下図)振り向けば倶留尊山。左の鷲の嘴のような形が二本ボソ。地元では「イワシの口」といわれてようだが、見る方向によってはそう見えるのか。ともかくかように平坦な高原にいきなり岩壁を立ち上がらせているのである。ズック靴で歩いてきて、この景観を見ることができるのは、ハイキングコースとしてはなかなかのものである。倶留尊山を眺めながら、残しておいた山菜のおにぎりを食べた。





池の平高原を抜けて、下り坂になる。下れば名張川が流れているはず。

時刻を見たら12:00分のバスの発射時刻まで、あと15分足らずである。ちょっとぬかった。おにぎりをゆっくり食べたからなあ。


少し焦る。あと1Kmほどである。道を迷わず歩いてちょうどの時間か。

民家の横からも倶留尊山が見える。ブルックナーの9番シンフォニーの第1楽章の呈示部のうちの第1主題くらいまでの音楽は聞こえてきそうである。

(第2主題、第3主題へ行くほど曲は美しさを増し、それが展開部・再現部を経て、ついには大爆発してクライマックスとなる。)



下り着いた。中太郎生の旧道である。ここから右手にバス道である国道368号線が走っているはずである。このとき、ウーーというサイレンの音が聞こえた。ひょっとして正午の時報ではなかろうか。

少し道を迷って、国道に出た。


国道へ出たら、すぐそこにバスがやって来ている。どこがバス停であるのか不明だったが、手を振るとバスは止まってくれた。ありがたい。

乗客は誰もいなかった。私一人で帰ることになった。 写真は名張川である。

名張駅には12時50分に着いた。朝8時に出発して5時間足らずで今日のテクテクは終わった。万歩計は18100歩であった。


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